発達障害って?

少し思い出話を…

私は小学校の2年生の時に、ボーイスカウトに入隊しました。当時は、カブスカウトです。

そしてボーイスカウト活動を続けた結果、野外活動のプロとなってしまいました。

あまり記憶が定かではないのですが、友達が着る、カブスカウトの青いユニフォームにあこがれて入ったのだと思います。その友達の家は、街の本屋さん。裏に、その友人の祖父母が豆腐屋をやっていて、朝、彼を迎えに行くと、油揚げにお醤油をかけてもらって、食べたように思います。

そして、その数軒隣の洋品屋の息子もカブスカウトでした。

その頃の私の家は、近くのアパート住まいでした。

 

その友達の一人に、今考えると、発達障害だったのだろうなという友達がいました。

電車の音まねがすごくうまかったのです。その音まねをしながら、電車の絵をかいていました。すごい精緻な絵でした。

でも、ロープワークなどはなかなか覚えられなかったと思います。

あるとき、宿泊をした時、何を怒ったのか、窓から、みんなのリュックサックを投げ落としたという思い出もあります。

でも、何となく、みんなちゃんと友達付き合いをしていたし、電車に乗った時など彼の解説を尊敬のまなざしで聞いていたように思います。

こんな友達も、当時は何となくちゃんと受け入れて一緒に活動していたのですね。

リーダーの方は苦労されていたのかもしれませんが、私たちは何も考えず、屈託なく楽しんでいました。

 

どうして、そんな風にみんなで仲良くできていたのか。

いろいろな生活階層の人が町の中で、みんな一緒に暮らしていたのですね。

そしてそこに、境界線はありませんでしたし、発達障害と健常との境界もなかったように思います。みんな子どもだったのですね。

本当にその境目はないでしょう。どちらなのだろうという子どもも最近はたくさんいるように思います。(それは私に知識がついたからかもしれません)

もし境界線を引いたとしても、きっとその境界線上にも子どもはいるのです。だから境界線は引けないのです。

 

今、発達障害といわれる人が、会社の中でうまくやっていけないという話を聞きます。

そうでない、少し他の人とよりはおっとりしているかなという程度の人も、暮らしづらいという話も聞きます。

それは、みんなを均質化して、同じ質の人が同じ成果を上げていくという街づくりの中にあるからなのではないでしょうか。そんな街づくりに必要な人間を教育は育てようとするから、子どもも同じ質に育てていこうという風になってしまっているのではないでしょうか。

その同質のグループの中にいない子は、発達障害といわれたり、いじめの対象になったりするのではないでしょうか。

 

今、地方に暮らして思うのは、私が子どもだった頃と同じように、大きな家の隣には小さな平屋の家もあります。農家もいれば、工場では宅人も、商売やの人もいます。しかしその人たちはみな同じようにお付き合いをして、暮らしを支えあっています。

 

発達障害の子どもたちが暮らしやすい街づくりを考えないと、そこで暮らす人づくりの教育もうまくいかないのかもしれません。

いいえ、教育が変われば、そこで育てられた人が街を変えていくということになるのかもしれません。

鶏が先か、卵が先かの理論になってしまいますね。

どちらも一緒にするしかないのかもしれません。

 

教育が、教育の世界の中で子どもを育てるのではなく、地域の中で、街の中で、育てながら、その子どもを育てるための街づくりを大人が考えていかなくてはいけない時代なのかもしれません。現に「社会全体での子育て」などといわれます。

思うのは、地域で子どもを育てるということは、子どもに大人の『今』を押し付けるのではなく、子どもが育つために、大人が、街が、いかに沿うて行ったらいいか、変わるといいかを考えることなのだと思っています。

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