『木々の声』

皆さんは、お正月、初詣には行かれましたか?
私は、八ヶ岳の自宅の近くにある神社にお参りに行きました。


北野天満宮の末社です。全国1万2000もある末社の中のひとつです。
末社といえども、さすがの北野天満宮…か、どうかはわかりませんが、

参道の両側の木々が立派です。

宮司さんもいない、小さなお社ですが、

100メートルちょっとの参道には巨木が並びます。

 


この小淵沢に、なかなか古くから人々が暮らしていたのだなと感じます。
お社の後ろにも、うっそうとした森があります。

 

 

逆に少し悲しいこともありました。
年末、帰宅したときに、我が家の近くの家の前に大きく茂っていた銀杏の木が根元から
切り倒されていました。
何でもかんでも守らなくてはいけない、と言うつもりはありません。
きっと、このお宅の方にとっては、何か不都合なことがあったのでしょう。
沢山の銀杏の実が落ちる木でもありました。家のすぐ前に立つ木でしたから、

匂いがひどくて仕方なかったとか、家が影になってしまうとか、何かわけがあったのでしょう。


とはいえ、残念な気持ちもあるのは事実です。

 

きっと切るのはほんの数十分でしょうが、

ここまで育つのは、何十年か、百何十年かかったでしょうに。

 

そして、もう一本、昨年の冬に、強風で裂けてしまった木がありました。
その木を、道すがらいつも見ていたのですが、

この冬とうとう、根元から倒れてしまいました。


自然の摂理で、このように朽ちていく木もあるのですね。

このように、木にもいろいろな生き方、そして樹命の終え方があるのですね。


切られた銀杏の木は、その後どうなったのでしょうか?


私が見た時はこの切り株だけでしたので、その後どうなったのかはわかりません。

チップになってしまったのか、薪になったのか? はたまた、何か家具のようなものに
姿を変えて人々の役に立つのでしょうか?
この風で倒れ朽ちた木は、この後どうなるのでしょうか?
根元から再び芽を吹くのでしょうか?
朽ちて、その朽ちた木が栄養となって、

そこにまた違う草木が芽を吹かせるのでしょうか?


どちらにしても、倒れてなお、人々のためであったり、自然の中の生きる者たちの役に
立っていくのですね。


私たちは、何歳まで、毅然と立ち続けるのでしょう。生き続けるのでしょう。
そして、どのように人生を、寿命を終えるのでしょう。
木々はその姿をもって、私たちに自身の生き方を問いかけているような気がしました。
そして、この木々に代わる木を、どこかで、

どのようにかして育てていかないといけないのだとも思います。


そう。人も同じで、育てていかなくてはいけないのです。

コメント

木々や全ての自然が、誰にも教わることなく、スクスクと大きくなって、すべての生き物のためにその命を全うするように。お母さんのお腹に命が宿ったその時から、スクスクと愛情たっぷりで育ち、自然と、誰に教わることなく、大人の姿をみて、人を含めた全ての命のために人生を全うする生き方ができる世の中になるといいですね!

  • ロッキー
  • 2019/01/17 21:16

ロッキーへ
家族皆元気ですか?

  • 桜井
  • 2019/02/16 18:21