阪神・淡路大震災から24年

先月1月17日『阪神・淡路大震災』から、24年が経ちました。

24年前のこの日、国際自然大学校の理事長の佐藤さんが大阪に出張していて、連絡がつかず、とても気をもんだ思い出があります。

24年後、2019年1月17日の、天声人語です。

 

 

この天声人語にもあるように、何か災害があると、多くの人が、特別なことではないという感じで、ボランティアに行くようになったと思います。

『災害ボランティアは特別なことではなくなった』と、あるように、昨年は、災害が特別な出来事ではなく、日常茶飯のように次々に襲ってきました。

そして、そのたびに多くの人たちが、ボランティアとして、現地に駆けつけています。

 

しかし、この『災害ボランティアが特別なことではなくなった』という一行を読んだときに、私はふと思ったことがあります。

日常の中でのボランティアも特別なことではなくなっているだろうか?

朝の通勤ラッシュンの中で、手すりにすがって、ゆっくりゆっくり階段を上る高齢者を押しのけるように脇をすり抜けざまに、「チッ」と舌打ちしていくような人が増えているように思います。

 

『あおり運転』などという言葉が、定着してしまう世の中です。

 

港区青山の児童相談所の建設にまつわる騒動なども、何か殺伐としたものを感じます。

 

日常の中では、人のために何かするということよりも、「そんなことで?」と思うようなことで、人を傷つけたり、押しのけたりするような事が『特別でないこと』になりつつあるのではないでしょうか?

多くの災害ボランティアの方々は、日常の生活に戻って、どんな暮らしをしているのでしょう。

災害ボランティアが、特別でないことになっていく中で、日常の生活の中でも、隣人を思いやり、手を差し伸べあうような暮らしが特別ではないことになっていってほしいと思うのです。

 

しかし、どう考えても、東京を中心とする都会は、その逆に走っているように思えてならないのです。

私は、東京での仕事を終え、八ヶ岳に帰ってくると、本当にほっとします。

東京では、知らず知らずのうちに、緊張しているのかもしれせん。周りの人に迷惑をかけないようにしなくてはいけない。周りの人から、何か言われたり、されたりしないだろうか…と。

 

そんな、緊張をした生活から逃れたくて、災害ボランティアに行く人がいるのではないかしらと思ってしまう時もあります。

 

お互いをもっともっと思いやれる、そんな人を育てていかなくてはと思います。

 

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