仕事しています!

私は、NPO法人国際自然大学校という団体を、60歳で退職しました。

そして、山梨県の北杜市に移住しました。

そこで、畑仕事を一生懸命しています。

 

本当はそれだけではなく、まだ、いろいろと自然体験活動の振興のために頑張ってはいるのですが…

 

表向きは、そんなことは頑張らずに、畑仕事を頑張っていることにしています。

 

たまに東京で、バリバリ働いている人たちにお会いしてお話しすると、時に『まだまだ若いのだから、働きなよ。』と言われます。

そんな時は、頑張って畑仕事しているよ。と答えると、『そうじゃなくってちゃんと仕事しなよ。』と、詰め寄られるのです。

 

そんな時にふと、心配になるのです。

畑仕事はちゃんとした仕事ではないのでしょうか?

確かに、農協や道の駅に出荷するほどの沢山の野菜を育ててはいません。

しかし、私と妻が食べていくのを結構助けてくれる野菜を作っています。

今も、ホウレン草や、キャベツ、白菜などが、食卓を賑わせてくれます。

 

秋などは、結構たくさん採れたカボチャを実家に届けたり、ご近所にも配りました。

お礼に、うちで作っていないズッキーニなどをいただいたりしました。

 

こんな風に畑仕事をすることは、人間が生きていくうえで、一番大切な仕事の一つだと思います。

しかし東京の人と話をすると、畑仕事は仕事と認めてもらえないようです。

何故なんでしょう。

野菜や、コメや、お肉などは、農家の人が汗水流して育ててくれているはずなのですが、それは、仕事だと思わなくなっているのではないのでしょうか?

いいや、そんな野菜などを自家消費してしまう程度は、仕事と言えないのでしょうか?

しかし本来、人は、自分で食べるものを自分で育てて生きていくのが自然な姿だと思うのです。

それから、物々交換になり、販売するようになっていくのですよね。

私は、この物々交換こそが、今の時代にもてはやされているCtoCの正しい姿だと思っています。…まあ、CtoCはネットの世界での話題ですから、物々交換なんて論外といわれてしまいますね。

しかし、自分で食べるものを自分で汗をかいて育てるというのが大切な仕事だと思えるようにいてほしいと思います。

 

ただ、あまりストイックになるのも、行き過ぎではあるでしょう。

少しの自給自足と、少しの都会的暮らしを上手にまぜ合わせた働き方、仕事の仕方をこれからも模索していけたらいいなと思っています。

 

皆さん!私、仕事してますよ〜。

 

儲からない教育…教育は儲けない?

儲かるという字は

「信じる」という字と「者」という字で出来上がっています。

隣の者が信じてくれるから、儲かるということです。

 

では、隣の者は、何を信じるのでしょう。

現代社会はきっと大企業を信じるのでしょうね。

テレビのコマーシャルに出てくるような大企業のやることだから信じる。信じられるという感じなのではないでしょうか。

 

大企業は、あらゆる基準を厳格にして製品を作ってくれています。そのために莫大な経費もかけています。

その経費は、私たちが買う製品に転嫁されているのですね。

それは、何千何億個という数で割るから、小さな金額になるのです。

ですから、あらゆる基準を厳格にするためには、何千何億個という製品を生み出さなくてはいけないのです。

 

少し前の社会では、大企業を信用するのではなくて、目の前にいる人を信じていたような気がします。

例えば…「肉屋のおじさんが作るコロッケはおいしい。」

そのおじさんへの信頼で、毎日コロッケを安心して食べることができました。

 

人づくりというのは、厳格な基準のもと、何千何億人(個)を育て(作り)あげることはできません。

目の前にいるひとりひとりを見て、育てるしかないのです。

 

最近、学習塾なども、そのことを一生懸命に考えてくれているように思うのですが…他方、国の方針は、人を育てるということも大量生産できる経済活動の一部として考え始めているような気がしてなりません。

工業製品のように、このシステムに乗せれば、子どもが素晴らしい大人になっていくというような錯覚を持っているのではないでしょうか。

英語が話せれば国際人になれる?

大学に行けば立派な社会人になる?

何か違うように思います。

 

そんな中、私たちは、肝に銘じたいと思います。

 

人づくりを一生懸命することで儲けさせてもらうのが教育者です。

儲けるために人づくりをしてはいけないのです。

 

教育に誠心誠意励むからこそ、世の中の人たちが私たちを食べさせてくれるのです。

儲けるために教育をしてはいけないのです。

 

逆に社会は、そんな教育者をきちんと認めてほしいのです。

ひとりひとりの子どもに手間暇かける先生や、地域で子どものことを叱るおじいちゃんやおばあちゃんを、もっともっと尊敬してあげてほしいと思います。

自然エネルギー発電

八ヶ岳の我が家は、屋根に太陽光発電のパネルを載せています。

ただ、発電した電気は、電力会社に売電しています。

結構、晴天率の高い地域なので、発電もたくさんしてくれます。

大体、使った電気料金と同じぐらいの売電をしてくれています。

 

しかしこの太陽光発電、近所では森を切り開いて、大規模な太陽光発電所が作られたりしています。

本末転倒でしょう…自然とのかかわりを大切にしなくてはいけないから、その自然を破壊して発電所を作るというのはどうも納得がいきません。

 

では、自然エネルギーで発電する他の方法はないのでしょうか。

 

みんなが屋根の上に太陽光発電のパネルを載せるというのもいいでしょう。

しかし、雨の多いときなどは、発電できません。

 

小水力発電というのを見かけました。

日本中にある、田んぼの用水路を使って発電ができるというものです。

これはいいなと思いましたが…我が家の近くには用水路は流れていません。

また、この用水路を使うにはきっと、近隣の農家の方々の許可が必要でしょう。

 

近くに用水路がない家は、電線を長い距離を引っ張らないといけないかもしれません。

でも、みんなで話し合ったら何か解決策があるかもしれない…と思います。

 

例えば、発電機のそばにソケットがあって、そこに、各家庭が曜日や時間指定で充電に行くという風にしてもいいかもしれません。

田んぼの水は、そんな風に用水路から水を入れる時間を、それぞれが取り決めしていると聞いたことがあります。同じ方法ですね。

でもそのためには、ポータブルで持ち運びができるような充電器で、かつ、家庭に持って帰ったら、家庭用電源となるような充電器の開発が必要かもしれません。

素人の考えですから、無理なのでしょうかね。

 

我が家は、八ヶ岳の裾野ですから、吹きおろす風が強いです。

そんな風ならば、どこの家にも吹いてきます。

その風を使った発電もできたらいいな…とも思います。

 

もしかすると、その風力での発電が足りなくなる時、用水路で発電充電したもので、補う方法がいいのかもしれません。

 

ひとつの方法ではなく、いくつかの方法をうまく地域の事情に合わせて組み合わせながら、それが1つないしは2つの家庭用充電器に蓄積されて、家庭の電気をまかなうことができるようになるといいなと思います。

 

充電器も、もっと安くなるといいと思います。

そして、自分で発電した時に家庭に引き込むためのソケットがどの家にもついているようになるといいですよね。

 

最近そんな自家発電のことをよく考えます。

でも、それは大都会では無理かもしれません。

水の流れは、みんな地下に隠してしまいました。

風を受けることができるような、スペースは隣の家との間にはありません。

太陽光は辛うじて、屋根に乗せることができるかな?

でもマンションでは、あまり現実的ではないでしょうか?

でも共用部分の電灯とかになら使えますね。

 

もっともっと工夫をすれば、自然エネルギー発電は可能性があるように思います。

とはいえ、こうなると電力会社さんにとっては、仕事がなくなることですね。

でも、まず原子力発電所がなくても暮らしていけるくらいの自然エネルギー発電をみんなで目指したいですね。

暖冬は何をもたらすのでしょう

今年の冬は暖かい…ようですね。

スキー場は大変な騒ぎになっています。

国際自然大学校の冬のキャンプも、大変なようです。

 

しかし本当に大変なのは…春からの農業の方が心配なのかもしれません。

雪解けの水が不足するのです。

もっと心配なのは、昨年の秋の台風の被害も、きっと影響を及ぼすというダブルパンチになるのではないかと考えています。

 

千葉での、枇杷農家の被害の話を聞きました。

枇杷の木はとりあえず何とかなるかもしれないけれど、潮風を防ぐ防風林が根こそぎ倒れてしまいました。

木にも塩水がかかっているでしょう。

そんな枇杷の木にちゃんと花が咲くかどうか。花が咲いても防風林のないまま、ちゃんと実が付くかどうか、想像もつかないそうです。

 

春になり、水がなくて稲や野菜に被害が出て、台風の影響でやはり野菜や果物にも被害が出るかもしれません。

まるで時限爆弾のように半年後、1年後に被害が現れてきます。

 

この半年、1年の間に、日本の商魂たくましい会社は、海外から野菜や果物を輸入してくれるでしょう。

もしかすると、日本で栽培するよりも安い価格での輸入ルートを開拓してくれるかもしれません。

すると来年から、日本の野菜や果物よりも安い、海外の輸入野菜や果物が通常の流通に加わり、日本の農業を圧迫してしまうかもしれません。

そうやって、日本の農業はどんどん衰退していくのかもしれません。

 

しかしある時、その輸入先の国が、台風や、集中豪雨などの被害にあったらどうなるのでしょう。今回のオーストラリアの森林火災なども、きっとオーストラリア産の農業製品に大きな影響を及ぼすでしょう。そして日本への影響も少なくないでしょう。

何かあると、外国からの輸入品に頼り、国内の農業を疲弊させていくと、結果、外国の生産地に何かあったとき、食べるものがないことになるのではないでしょうか。

 

まずは、春の水不足による農業をどうしたらいいか、みんなで考えなくてはいけませんね。

水不足は何を生むのでしょう。

農業生産量が減ってしまい、きっと、農業製品が高騰します。

その高い農業製品を買わずに安い輸入品を買いますか?

少しでも国産のものを買う努力をしませんか。

 

それから、みんなで少しでも、自分で畑を耕して、野菜を育てたりしませんか?

すると、耕作放棄地が減り、農産品が少しづつ増えるのではないでしょうか?

水不足なのに、農家が畑を作れないのに、自分たちで作れるわけはないだろう…と言われるかもしれません。

でも、家庭菜園とかなら、水道の水や、雨どいの雨水から貯めた水で育てることができるのではないでしょうか。

そんなふうに、小さい農業が日本の農業の原点なのではないでしょうか。

アメリカのように、工業製品のように農作物を製造するのではなく、手塩にかけて、命を育む農業が日本の農業の姿なのだと私は思うのです。

朝の散歩

朝起きてみると、うっすらと雪が積もっていました。

お天気は最高の青空です。

誘われるように、散歩に出ました。

雪の日は、滑ったりして危ないかと思い、散歩に出るのは控えているのですが、今日は、そのすがすがしさにひかれて、思わず出ていってしまいました。

 

気温はマイナス5度。きちんとダウンを着てマフラーも手袋もして、完全防備で外に出ました。

外は、目を細めるほど、まぶしい日差しです。

しばらく歩いたら、汗ばむほどでした。

いつもの散歩コースを歩いていきましたが、雪の朝は少し違いました。

 

このあたりは、薪ストーブを備えたお家も多く、ほんのりと煙の香りが漂ってきます。

いい香りです。

 

歩く先には、八ヶ岳を仰ぎ見ることができます

 

滑らないように、少し足もとに気をつけながら歩いていると、セキレイが雪の解けた道で、まさに私を道案内するように、ちょんちょんと前を歩いていきます。

 

角を曲がると、今度は富士山が正面になります。

中央本線、小海線をくぐって、またいで歩いていきます。

富士山は東側になるので、まぶしく輝いています。

 

田んぼの間の一本道を歩くと自然に胸を張って歩幅が広がります。

風が頬をなでます。

確かに冷たい風ですが、何とも心地よいものです。

 

 

そして、ぐるりと道をカーブすると、今度は南アルプス甲斐駒ヶ岳を仰ぎ見て歩くことになります。

 

何とも贅沢な散歩です。

 

最後は再び、八ヶ岳に向かって歩いて我が家に戻ります。

ゆっくり歩いて、約1時間弱、7000歩ほどの散歩でした。

 

風に香る煙の香り、

頬をなでる冷気、

雪を踏みしめる音、

セキレイが飛び立つときの鳴き声、

屋根の雪が解け落ちるしずくの音、

目をしばたたかせるほどの朝日の輝き…こんなことは写真ではお伝え出来なくて残念です。

 

そして、この五感を通して感じる朝の散歩での心地が、こういう田舎で暮らす宝なのだろうなと思っています。